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谷戸の物語03 聞き書き ー初午ー
ポストカード「谷戸の物語」の文章は、町田市・忠生(ただお)地域に暮らす方に聞いたお話や史実を元に執筆しています。その元となった聞き書きを、このウェブサイト上で紹介しています。今回はお正月に聞いた「初午」のお話です。
話し手:簗田寺 住職(以下、住職)、副住職・YATO代表 齋藤紘良(以下、紘良)、檀家・牧野仁さん(以下、牧野)
谷戸の物語02聞き書きー朝の眼、夜の眼ー ※近日公開予定
初午
紘良:改めて、昔の風景が、どんなものだったのか聞きたくて、今日は、初午(はつうま)(※1)のお話を聞きたいと思っています。
牧野:昔のことを知っている人がなかなかいないんでね。
紘良:残していかないと、どんどん分からなくなるんですよね。
牧野:この間、町田市の地域歴史資料館「自由民権資料館」に行って、忠生地域周辺の写真や資料を全部見てきたんですよ。
紘良:初午は、藁で包んだお赤飯とか揚げ豆腐などの、お供えものがあったと聞きました。
牧野:団子をつけた人もいるし、めざし(※2)をのせる人もいる。
紘良:あと、酒まんじゅうがあったっていう話を聞きました。
牧野:ありました。とにかくお祭りのときはうどんでしたね。米はつくっても出荷しちゃったんですよね。お金にするために。だから、麦でまんじゅうやうどんを作っていました。まんじゅうは、今でいうお好み焼きに近いです。何にも入っていない小麦粉の生地を焙烙(※3)で焼いて、ぺったんこにして。中にさつまいもを入れるんですよね。そればかり食べさせられていました。
紘良:お供えものはみんなで食べてたんですか?
牧野:そうですね。初午のときはお供えものに上がったものを裏から取りに来てたっていう話をよく聞きましたよ。あと私のこどもの頃は、(山の上の)お稲荷さんの社の前でおみくじをやってたんですよね。1等を当てて、醤油一升をもらったこともありました。そんなこともあってこども心に記憶としてすごく残ってます。
紘良:こどもは初午の準備に参加したんですか?
牧野:そういうことは大人がやってくれたんでしょうね。準備はしないけど、初午のときは上に登るのが楽しみだった。
紘良:学校が終わったあとですよね?
牧野:一旦家に帰ってからですね。割と遅くまでやってたのかな。
紘良:檀家である牧野さんにはお父さまの代から、初午の日の準備をしてもらっているのですが、今その準備の中で大変なことってあります?
牧野:近所のこどもたちにこういう初午という日があるということを知らせるということかな。
紘良:近くの小学校とかに手紙を出せたらいいですね。
牧野:他の地域の人も一生懸命やってるんだけども、中心でやっている人が抜けちゃうと、ああ、もう解散だって。
紘良:初午の準備について教えていただけますか?
牧野:私達は簗田寺のお稲荷さんで、10日前に神社の方をきれいにして、のぼり旗を立てます。まず上の社をきれいにして、次に、その周りをきれいにして、参道をきれいにして、旗を立ててね。でも、14日の朝からお参りに上る人がいるんですね。我々は、来た方にお茶の一杯ぐらい出せたらということで、火を焚いて準備するんです。初午の当日は、幼稚園児が400人ぐらいが上がってお参りした後に、お菓子を一つぐらい配っています。もしよかったら他の人も参加していただければ。平日なんでね。
紘良:初午がどんなことなのかというのを、別に教えるってわけじゃなくても、こどもたちと一緒に楽しめるといいですよね。小さいこの心に残りますよね。
住職:昔の総代さんたちが集まってくると、お稲荷さんは女神様だから、ちょっとやきもち焼きだって、他のところにお参りに行って自分のところに来ないと怒ってしまうと、だから絶対にお稲荷さんは大事にしないといけないんだ、という話を、よくしてたんですよね。そういう話がずっと伝えられてきたんです。
紘良:集まろうって言って集まるんじゃなくて、その日を楽しみにみんなが一年を過ごすから、“集まりたいから集まる”。そういう関係ができたらいいなって。そういうことが、谷戸(※4)でも昔はあったのに、なくなっちゃっているのが寂しいなって思うんですよね。
牧野:こんなこと言っていいのかわからんけど、明治期あたりに言い伝えが曖昧になってしまったんだよね。
紘良:物語で伝わっていくと覚えやすいですよね。こどもに伝わっていかないと、途絶えてしまいますから。
※1 初午(はつうま):2月の最初の丑の日に行われる、稲荷神社のまつり。
※2 めざし:イワシなどの目に、藁や串を通して数尾まとめた干し物。
※3 焙烙(ほうろく):素焼の平たく浅い土なべのこと。
※4 谷戸(やと):長い年月をかけて生まれた、谷のような地形のこと。町田市・忠生エリアのことを、昔は谷戸とよんでいました。
写真:波田野州平