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500年のCOMMONを考える

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人が、人らしく生まれ育つところをめざして~簗田寺とマザーディクショナリーが構想する『500年の学校』~

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簗田寺副住職 齋藤紘良 × マザーディクショナリー代表 尾見紀佐子

人が、人らしく生まれ育つところをめざして

~簗田寺とマザーディクショナリーが構想する『500年の学校』~

 

“500年のcommon”を考えるYATOプロジェクトの核となる『500年の学校』は、同プロジェクトを進めてきた東京 町田市の「簗田寺」が主催し、“未来への種まき”として幅広い世代へ向けた体験の提供と居場所づくりを行う「株式会社マザーディクショナリー」が企画・制作をしています。『500年の学校』とはどのようなことを目指す場なのか? 校長を務める簗田寺副住職の齋藤紘良(さいとう こうりょう)さんと、マザーディクショナリー代表の尾見紀佐子(おみ きさこ)さんに、協働する意味や両者の想いが重なるところについてお話を伺いました。

 

 

こどもが自分を発揮できる場所をつくる

 

――はじめに、『500年の学校』の土台である、500年のcommonを考えるYATOプロジェクトについて、それはどんなプロジェクトなのか、始めた理由や発端も併せて教えて下さい。

 

齋藤: YATOプロジェクトは、ここ簗田寺や、僕が園長を務めた保育園がある里山一帯を含めた東京 町田市の谷戸・忠生(ただお)という地域を拠点に、土地の記憶を学びながら「500年続く文化催事=お祭り」を築くことを目指したプロジェクトです。それによって、次の世代へと記憶を手渡していきたい。YATO=谷戸というのは、丘陵地が浸食されて生まれる谷状の地形のことで、その土地の生態系、営みを指す言葉です。

 

 

そもそもの発端は、あるとき、簗田寺では500年周期でいろいろな変化が起こっていると、歴史を見て気づいたことです。前回のターニングポイントは1600年頃。つまり次の岐路まであと100年しかなく、次の500年をどうしたらいいかを考えるため、まずは仲間を集めることから始めようと思い、地域の文化事業としてプロジェクトを立ち上げました。地域の年配の方々から小学生と一緒に土地の歴史や文化を学んだり、アーティストに声を掛けて、地元の人たちを巻き込んだイベントなどを開催してきました。

 

プロジェクトを立ち上げた理由はもう一つあって。僕は「しぜんの国保育園」などの園長を務めてきたんですね。そこでは「すべて、こども中心」という理念のもと、こどもたちがやりたいことを如何なくやれる環境を作ってきました。ところが、こどもたちは小学校に入った途端、自由が尊重されるレイヤーとは全く異なる世界で生きていくことを余儀なくされてしまう。こどもたちは、本来、経済活動を軸とする時間の流れとは違う、日が昇って暮れるまでの、自然と一体となった時間を生きています。こどもたちが卒園後も、こどもらしい時間軸の中で、自分の本領を発揮できるような場所を作りたい。そんな思いもあって、YATOの活動を始めました。

 

最近特に思うのは、それは大人も一緒だということ。お腹が空いたらご飯を食べて、日が暮れたらお酒を飲んで寝る。ふと気づいたら虫の音や水の音が聞こえて、何も考えずにボーッといられる。そんな場所を大人も求めているのではないでしょうか。こうした考えがのちの「500年の学校」につながっていきました。

 

 

――こどもを軸に考える姿勢や「500年のcommonを考える」というテーマは、マザーディクショナリーが掲げる「未来の種まき」という理念にも通じるものがありますね。

 

尾見:マザーディクショナリーは、こどもと暮らす中で見えてくる新しい視点や景色を大切にしています。こどもの目線を通して、さまざまな分野の方々と協働するところから活動を始めました。こどもたちにこんな経験をさせてあげたいと、いろいろな機会を提供するのですが、そのなかで気づいたのは、こどもにとって、どんなに豊かな体験や環境より、お母さんが笑顔でいてくれることが、心の安定や健やかな成長、自分を発揮することにつながるということでした。

 

お母さんを笑顔にすること、お母さんが子育てを楽しめる環境を作ることが、私たちの仕事かもしれない。それがマザーディクショナリーという社名にもつながっています。お母さんたちはとにかく一生懸命なんですね。でももっと肩の荷を下ろして、地域や社会で子育てできることを実感してもらいたいと、施設の運営や居場所作りをしています。

 

 

いろんな世代、いろんな立場の人との関わりを通して、世の中には多様な生き方や考え方があって、あなたはそのままでいいんだよと、こどもはもちろん、こどもを取り巻くさまざまな人たちが自分らしく生きられるように応援していけたら。そうした取り組みを、文化伝承を支援する事業と両輪で行っていくことが「未来を作る種まき」だと思っています。

 

こどもとか教育の世界は、その中で完結しがちなんですが、紘良さんは保育の固定概念を取っ払って、アーティストやいろいろな分野の方を巻き込んで新しいことに挑戦しながら、こどもたちの世界を広げています。共感なんて言うとおこがましいですが、私たちにとっても大きな励みになっていました。

 

齋藤:僕らにとっても、マザーディクショナリーさんは先を行く存在です。母親や父親というのは、概念以前に、人間が営みを作っていく中で、お互いを補完し合うために生まれた役割ですよね。僕らもずっとこどもにこだわってやってきたんですけど、お母さんという視点からこどもに関わる活動は先進的で、いつか何かでご一緒したいと、10年くらい前から思っていました。アプローチや場所は違っても、世界観というか、人が人らしく生まれ育つところを目指す点で共通していると思います。

 

 

 

日本人として自分を見つめなおす場所

 

――もともとお互いの活動にシンパシーを感じていたんですね。そしてそれが『500年の学校』に結実した。『500年の学校』はデンマークのフォルケホイスコーレをモデルにしているそうですが、このような構想はどのようなやり取りから生まれたのでしょうか?

 

 

齋藤:仲間集めからYATOプロジェクトを始めたわけですが、仲間を集めるためには、みんなが集まれる場所が必要です。そういう意味でお寺はすごく良い場所だと思いました。誰かの利益のための場所ではなく、大人も、こどもも、悩める人も、鳥も、植物も、いろいろな主体が集まって、それぞれの思いを調和させながらいることができる。

 

お寺がみんなの場所であり続けるためには、次の500年も大事にされる場所でなければなりません。お寺を大切にしてくれる思いやりのある人たちに集まってほしい。ものや人が集まって、人と人の魂が行き交うという意味での「流れ」=経済を作っていくために、お寺の魅力を目に見える形で語っていく必要があると思いました。里山の手入れ会を始めたのもみんなでこの場所を大切にしていくためです。それに続くものとして、精進料理の食堂や宿坊を作ろうと考えました。

 

…ところが、ただ流れを作ろうとするだけでは駄目なんですね。「簗田寺の意志」に基づいて流れを作らなければ、結局は上手くいかない。行き詰ってそのことに気づいたとき、パートナーとして思い浮かんだのがマザーディクショナリーでした。

 

 

尾見:お話をいただいて、私たちがどんな風にかかわれば、このプロジェクトを豊かに発展させていけるのか、はじめは手探りでした。でも紘良さんから、檀家さんが減少していること、それに伴ってお寺の運営を見直す時期にきていると聞いて、これは日本全体の課題だと思いました。地域におけるお寺のあり方とか役割を再考するきっかけになったんです。お寺は、お墓参りや法事に来るだけの場所ではないはずですよね。

 

そんなとき、デンマークにあるフォルケホイスコーレの存在を知りました。フォルケホイスコーレというのは、デンマーク発祥のすべての人のための学校で、「人生の学校」とも呼ばれています。デンマークでは一人ひとりの個性と感性を育んで、それを尊重することが国の豊かさにつながるという考えが根づいていて。その時々の自分の思いに沿って、学びや体験を選択できるシステムが社会の中で担保されているんです。

 

例えば、学校では学年ごとに習熟目標があって、進級するかどうか、本人を含めた話合いで決めるそうですし、中学や高校、多感な時期には、学校を休学して、農場や語学の学校に通うという選択もできる。こうした機会は公教育として保障されていて、教育が投資のようになっている日本とは対照的です。大人に向けても、自分を見つめなおす場所、新しい働き方や人生の歩み方を模索するための学校が用意されている。それがフォルケホイスコーレなんです。

 

一人ひとりの感性や個性を尊重して「人を大切にする」という考え方は、簗田寺に合っていると思いました。自然豊かな里山に囲まれた「お寺」という場所で、座禅を組んだり、仏教の教えに触れたり。いろいろな人たちと関わりを持ちながら、日本人として自分を見つめなおす場所に簗田寺はとてもふさわしいのではないか。そんな考えから、フォルケホイスコーレをモデルにした『500年の学校』を提案しました。

 

 

齋藤:これまで僕らもお寺という環境にこだわってやってきました。お寺の魅力を活かして、次の時代につながるような人の流れや賑わいを作ろうと挑戦してきた。でもマザーディクショナリーさんは、保育やお寺とは違う視点から、日本全体の課題も踏まえて、海外ではこういうやり方もあるよと、お寺の新しい魅力や可能性を引き出してくれました。こどもはもちろん、大人にだって、自然のままに生きられる場所、経済活動だけではない幸せを発揮できる場所、人生を通して学び続けられる場所が必要ですよね。

 

フォルケというのはフォーク=民族です。私たちはどこから来てどこに行くのか、根源的な問いに向き合う時期に来ているのではないでしょうか。過去の敗戦によって途切れてしまった自分たちの文化やルーツを、もう一度温かいまなざしで見つめなおしてみたい。そういう思いもあって、フォルケホイスコーレを提案してもらったときは「これだ」と思いました。

 

500年のルーツ、過去からのつながりを探し求めて、その中で自分を見つめなおしながら、次の500年の未来の人たちにも出会っていく。そういう意識でフォルケホイスコーレを捉えています。

 

 

 

もっと自由におおらかに 生き方や関係性は選択できる

 

――最後に『500年の学校』で目指したいこと、大切にしたいことを教えてください。

 

尾見:単発ではなく年間を通した講座にしたのは、自分を見つめ直すとき、それを自分1人ではなく、毎月集まるメンバー、仲間と一緒に行うことで得られるものがあると思ったからです。そういう思いから、500年の学校では「対話」をとても大切に考えています。

 

毎回、アーティストの方たちと、簗田寺や里山を舞台にさまざまなエッセンスを込めた体験をしていただくのですが、そのことを通してすぐに何かが見つかるとか、わかりやすい効果が得られるということよりも、自分の心がちょっと熱くなる、灯りがともるような何かが生まれるきっかけや種まきになったらいいなと思っています。

 

皆さん時間に追われて、本当に忙しくされていると思います。目の前のことに一生懸命になり過ぎて、苦しくなってしまうことも多いですよね。この場所に月に1回通い続けることで、凝り固まってできた殻のようなものが少し柔らかくなって、人生はもっとおおらかに自由に楽しんでいいんだと、そんな風に感じていただけたらいいですね。

 

 

齋藤:貨幣経済の原理だけで生活し続けると、疲れてしまいます。貨幣経済原理って生命の時間軸で進まないんです。だからそっちに体を合わせすぎると、体が追いつかなかったり、病気になっていってしまう。貨幣経済原理から関係性を考えると、タイパとかコスパとか、効率重視になってしまうのですが、貨幣経済ではない原理、仏教の「関係性の原理」からも考えてみてほしいのです。

 

この世界は現象や要素の集まりでできていて、人間や、鳥、虫、植物といった「区切り」なんて本来は無いんですね。人間だけではない、さまざまな主体がつながりあって世界は存在しています。そういう言葉のフレームが与えられる以前の世界を感じながら生きることが、仏教の根幹です。

 

自分が何かと関係性を作るとき、貨幣経済原理だけではなく、関係性の原理から考えてみるだけでも、選択肢は自ずと増えていくのではないでしょうか。効率は悪いけど気持ちがいいとか、体が自然と動く方に目を向けるとか。その時々で選択できるようになれば、いろんな自分を発見できるようになります。月に1回の講座ですが、それが点ではなく、面のような形で日常生活に広がりをもたらす時間になればと思います。

 

実は、僕自身いつも迷っていて。でもさまざまな方々と出会っていくことで、変化していける。簗田寺は良い出会いがたくさんある場所なので、皆さんにとっても出会いの場所、変化のきっかけを得られる関係性の場所になれたら嬉しいです。

 

尾見:迷っていても、動くことで先が開けることってたくさんありますよね。500年の学校も、実践をしながらより良い形へアップデートしていけたらと思います。10年後にはどんな形になっているかとても楽しみです。

 

齋藤:そうですね。長い目で動きながら考える。なにせ500年の学校ですから。

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